放鷹とは

鷹狩りに用いる鷹は,大きく二つに分けることができる。
ひとつは雛から人手により育てたタカを用いる方法で、このタカを「巣鷹」と呼ぶ。
もうひとつは、既に野生で自活している若鷹を捕らえて用いる方法で、この鷹を「網懸」と呼ぶ。

一般に鷹狩りは、中央アジアを起源として東西に広まったとされている。
以下は、全くの推測による私見だが、鷹狩りの始まりは巣鷹によるものであったのではないかと私は思っている。
古来よりヒトは多くの野生動物を飼育してきた。イヌ、ネコ、ウシ、ウマ、これら全て元は皆、野生動物である。初めから人はこれを何かの役に立てようと飼い始めたとは思えない。いくつかのケースがあると思うが、親からはぐれた仔を手にして「可愛い、可哀想」という感情から餌を与えたのもその始まりの一つと思われる。
「イヌを飼い馴らして人の役に立てようとか、馬を馴らして人が乗ろう」などは、後の人が発案したものであろう。

余談であるが、近年、野鳥を飼ったりすることは悪いこととする風潮があるが、他の動物に対してまで可愛い・可哀想という感情を持つことが出来るのは人間だけであり、他者に食物を分配するという行為を含めて動物を飼うということは最も人間らしい行為といえるのではないだろうか。

「人類は農耕により文明を築いた」とはよく言われるところであるが、それ以前から人類は動物を飼い労力と食料を手にすることにより文明を築き文化を発達させてきたということを忘れてはならない。
勿論、現在の自然状況の中で野生動物をやたらと飼育するということは、一般に奨励されるべきではなく、私もそのことには反対であるし充分な法的保護措置は講ぜられるべきであるが、人類と動物の関わりの歴史に想いを馳せることもなく、自らその恩恵を享受しているにも拘らず、「とにかく全てを反対」するような風潮があるとすれば、それこそ人や自然が病んでいる証拠といえるのではないだろうか。

話は横にそれたが、鷲鷹飼育の起源も他の家畜同様に鷲や鷹などの雛が巣から落ちているのを見つけ飼われる様になったのが始まりではないかと思われる。

遊牧民は自分たちの食べ残しの肉を与えた。雛は良く馴れたがすぐに羽根がはえそろい飛ぼうとする。遊牧民である彼らは,足に革をつけ繋ぐことを思いつく。初めは片脚だけであったが両脚に付けたほうがよい事にすぐに気がつく。
四千年前,草原にはノウサギがゴロゴロといた。とはいえ、もちろん銃などない。
石を投げてもそうは捕れるものではない。或る日、馬の背に乗せていた鷲がノウサギを見つけて羽ばたき飛びかかろうとする。紐は切れたのか?意図的に離したのか?鷲はノウサギをつかまえた。これが、私が想像する鷹狩りの始まりである。

中央アジアでは今でも雛から育てたイヌワシを用いて猟を行っている。又、中国で漁に用いるカワウソや鵜も仔や雛の時から育てられたものであり、そのことからしても最初に鷹狩に使われたものもヒナから育てられたものであると推察できる。

このように巣鷹については鷹狩りの起源まで含めて遡り想像することが出来るのであるが、ここで困るのは「網懸」の起源である。
日本での鷹狩りの起源は西暦355年、仁徳天皇による(日本書紀)ということは今日知られるところであり、応神天皇が鷹狩りをしたという「播磨の国風土記」の記述は更に時代を遡るが、果たしてそれらが巣鷹であったのか網懸であったのか知る由もない。
日本の鷹狩りの起源である朝鮮半島をみると農作業が終わった秋に移動で南下してきた鷹を農民が捕らえ,訓練して鷹狩りに用いている。これは網懸の手法でありそれが日本に伝えられたとすると、巣鷹の手法はいつどのように伝わったのか?又、初めから二つの方法が伝えられたのか?謎は尽きない。

特定非営利活動法人日本放鷹協会
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